方便を究竟と為す その十二

投稿日:2013年12月1日|カテゴリ:クリニックブログ, 方便を究竟と為す

(以下の文章は平成25年12月発行予定の医師会報に投稿したものを、医師会事務局の許可を得て、一部改変して掲載しています。)

 

『わたしたち 泣いている人に 何が出来るだろう

それは 力いっぱい 歌って踊ること』

(ももいろクローバーZ(以下MCZ)「Z伝説 終わりなき革命」より)

 

千葉県医師会が在宅医療や介護関連の活動に力をいれているので、会合にいく度に「何か取り組んで下さい!!!」と言われるものですから、強迫神経症のような状態になり、さてどうしたものかと頭を抱えていると、我らが国民的アイドルの歌の中からこのフレーズが浮かんでくるのでした。ミトラ教の研究者である東條真人氏によれば、イスラムのスーフィーたちが自分たちの神秘思想が“正統的”なイスラムの教えと矛盾しないことを示すために、コーランの一節を引用することを「アンカーリング」というのだそうです。スーフィーたちの神への愛や神との神秘的合一の思想、歌や踊りに寛容な態度は(彼らは「セマー」と呼ばれる音楽、舞踏、詠唱からなる儀式をよく行います。「歌って踊る」ことで世界を救うということからすると、MCZは禅者であるばかりでなくスーフィーでもあったのか!と今さらながら気づきましたが・・・)、ともすれば“正統派”のムスリムたちからは異端視されかねず、実際に何人もの人々が命を落としたそうです。私の場合も、MCZが世界を救うと信じているので、その証拠を歌詞の中に探して「アンカーリング」しているようなものかもしれません。

 

さて、MCZの皆さんは「笑顔と歌声で世界を照らし出す」ことに今日も励んでいる訳ですが、では私たちに在宅医療や介護の現場で何ができるのか。再び頭を抱えて悩んでいると、いくつかの顔と言葉が浮かんできました。最初は、マザー・テレサです。彼女によれば、人が死ぬときはとても大事な瞬間であり、天国に行くにはそのとき「清らかな心」でいることが大切なのだそうです。路上で倒れた貧しい人々を、せめて死ぬときは人間らしく死なせてあげたいと、彼女の施設に収容して看取っていったことは有名です。マザーのいた環境とはかなりかけ離れてはいますが、我々にあてはめれば、苦しむ相手は在宅で死にたくても死ねない患者さんであり、患者さんが最期を迎える場所として最もふさわしいのは、住み慣れた自宅に違いないという思いが続きます。しかし、これは感情論として理解できても、いまひとつ根拠がはっきりしない感じがします。マザーもあまり詳しい説明はしてくれていません。なぜ人は安らかな死を迎える必要があるのでしょうか。最期まで病院で病気と戦って、死ぬべきではないのでしょうか。死ぬ瞬間はどのように重要で、「清らかな心」とは何を意味するのでしょうか?

 

さらに頭を抱えていると今度はダライ・ラマ14世の顔が浮かんできました。チベット仏教は人の死後世界と輪廻転生をはっきり説いていますし、有名な「チベット死者の書(バルド・トドル)」では死後に人が経験する「バルド(中有)」という世界が詳しく述べられていることで有名です。その詳細は文庫版で翻訳書が簡単に手に入りますし、解説書も多いので、直接それらにあたられることをお勧めしますが、要旨をまとめると次のようです。死の直後から再生までの約49日間に死者が経験する「バルド」は、時間的に「死の瞬間のバルド(死後約3日間)」「存在本来の姿のバルド」「再生に向かう迷いの状態のバルド」の3段階を経るのですが、第1、第2の「バルド」で意識に出現する「光明(本来の自己、仏性、純粋なあるいは不滅の意識)」に気づくことが出来た場合、あるいはそれを逃しても次いで現れてくる第3の「バルド」のめくるめくイメージの世界が幻影にすぎないことに気づくことが出来れば、人は解脱することができるのですが、それを逃すと再生への道を進んでいくのだそうです。生前の修行で悟れなかった者が、死という精神的にギリギリの状態で解脱を果たそうとする訳で、その瞬間に死者が精神的混乱にあることをよしとしないのです。ダライ・ラマ法王は、その著作の中で「死ぬ瞬間」の重要性を、繰り返し述べています。

 

『・・・チベット仏教は、死ぬ直前の瞬間が非常に大切だと教えています。なぜならそれが死んでからつぎに生まれ変わるまでの「バルド」という期間のためにできる最期の準備のチャンスだからです。・・・この最期の瞬間を平静に迎えられるように準備をする必要があります。そうすることで、(仮に「バルド」の期間に悟れなかったとしても(筆者注))よい条件のもとに生まれ変わることができるでしょう。死ぬ直前の瞬間は、わたしたちがつぎに生まれ変わる先のキーを手にする瞬間ですから、非常に重要なのです。』

(「ダライ・ラマ 珠玉の言葉108」 ランダムハウスジャパン)

『・・・貴方が仏教を信仰しているか、その他の宗教かは問わない。死に際しては、心の平安こそが最も重要である。個々人は死の瞬間に、決して怒りや憎しみの感情を抱いてはならない。』

(「空と縁起 人間はひとりで生きられない」 同朋舎)

 

そうか、死ぬ瞬間はチベット仏教的には重要なのはわかった。しかし『チベット死者の書』に描写される「バルド」の世界は、チベットや仏教(特にチベット密教)の文化になじみがないとなかなか、ピンとこないな・・・。四たび頭を抱えていると、ついにOshoラジニーシの登場です。この人の手にかかると、古いチベットの枕経の世界が、現代の精神世界に通用する言葉として、鮮烈なインパクトを放ちながら読む者の心に突き刺さってきます。『OSHOダルシャン日本語版vol.4 (市民出版社)』よりいくつか「バルド」を解説した言葉を引用してみます。Oshoも、人は「意識的に」死を迎えるべきで、そうすることによって「バルド」の期間が、自分が肉体や心をはるかに超えた純粋な意識、知覚であることに気づき、輪廻転生の世界を脱却して覚醒(永遠の生、不滅の意識)に至ることができる大きなチャンスになる。そしてそのためには普段から(これは彼の持論ですが)、夢遊病者のように条件反射的に、無意識に生を送るのではなく、人生の一瞬一瞬を意識的に、喜びとともに強烈に生きる努力(一種の修行)をしなさいというのです。

 

『・・・死を生の絶頂として、自然な現象として受け入れなさい。それによって終わることは何もない。意識を保ち、起こっていることを見ていなさい―肉体がだんだんと自分から離れていくようすを、マインドが剥がれ落ち、バラバラになっていくさまを、あたかも鏡が落ちて粉々に砕けていくように、自分の感情、自分の心情、気分が・・・・自分の生を構成していたものすべてが、消えて行く様子を見つめていなさい・・・・(この「見つめているもの(観照者)」こそ本来の我々である訳です。(筆者注))』

(チベットの死の瞑想「バルド」より)

 

これはまるでコーランにおける終末の日の描写のようですね。あるいはまた・・・

 

『・・・死はあなたを この世の あらゆる区別を超えたところへ 人生の あらゆる愚かしいゲームを 超えたところへ 連れて行く だが 人びとはその人たちを助けずに その美しい瞬間を 壊してしまう 死は 人の一生における もっとも貴重なものであるのに たとえ彼が 百年生きたとしても これが もっとも貴重な瞬間だ・・・・』

(祝祭の瞬間 —大いなる死−より)

 

死に行く人を思いやりのない言葉で絶望させたり、怒り・悲しみ・憎しみで混乱させたり、不必要な延命治療で苦しめたりすることは、そのような貴重な瞬間を台無しにしてしまうのではないか。医者にとっても耳に痛い話が続きます。

 

『・・・・医者はその人に偽りの慰めを与える。その瞬間が、死というものを完全に自覚し、―純粋に余すところなく自覚しなくてはならない、純粋なる意識が体験される瞬間であることも知らずに。その瞬間は大いなる勝利の瞬間になる。今やその人にとって死は存在せず、永遠の生だけが存在する。・・・』

(祝祭の瞬間 –大いなる死—より)

 

そうか・・・・・・。「バルド」を信じるかどうかは人それぞれですが、終末期の人が安らかに死を迎え、最期の一瞬まで意識的に生き、死んでいける環境を整えることが、個人ひいては人類の「霊的進化」を助けることにつながるという思想がある訳です。・・・という訳で、最後になんとなく頭に浮かんできた考えはこんなことでした。「無条件にすべての患者さんの在宅での長期の療養を支えられる力は今の我々にないにしても、もうすぐお迎えが近い方々やその家族が、最も安心して最期を迎えられる場所として自宅を選ばれるのであれば、そのような短期間住み慣れた自宅で過ごし、静かに安心して最期を迎えさせてあげることぐらいはやれるのではないか?」ということです。もちろんいろいろな状況がありますから、話はこんなに単純でないことはよく承知していますが・・・・。おめでたいことに、最後の最後になってこのプロジェクト名まで浮かんで来ました。なんと!プロジェクトMCZ(案)です。(誤解ないようにお願いしますが、これはかの国民的アイドルMCZとは何の関係もありません。が入ってますから。)

 

(M) もばらしちょうせいぐんで

(M) もうそろそろお迎えが近いひとがいたら

(C) チョー安心して最期を迎えられるよう

(Z) ざいたくでの看取りをすすめるプロジェクト

 

「なんだこりゃ!?」という声が聞こえてきそうです。

 

注:今回は話しがやたら長いので(こんなに長い文章は誰も読まないといつも家族が言うのですが)、タンカやアラビア書道の写真はおやすみです。かわりに珍しい仏教画(チベットの曼荼羅と上座部仏教系のチャンポン?)の写真(?)がありましたので、載せておきます。この写真に感動したら、同じものが新発売のCD『GOUNN』に入っているのでぜひ買って、我らが国民的アイドルを応援しようではありませんか!??