方便を究竟と為す 番外編

方便を究竟と為す番外編

プロジェクトMCZ

(この文章は、平成27年春の茂原市長生郡医師会報に「方便を究竟と為す その弐拾壱」と同時に掲載されましたが、わかりにくい部分を一部改変してあります。)

 

 

(茂原市長生郡在宅医療(MCZ)担当理事として、「あーりんも今度は“おじいちゃんおばあちゃん祭り”をしたいと言っていたし、いつかこの茂原市長生郡で、ももクロが高齢者を励ますライブをしてくれないかなあ」と漠然とした夢を描いていました。今度KISSとももクロのコラボレーションの情報を追いかけていて、「これだ!」とひらめいたことものがあるので、忘れないうちに書いておこうと思い、まとめてみました。 内容的にもっと煮詰める必要はありましょうが、「鉄は熱いうちに打て」ということもあり、最近医師会報も薄い?ので、再び暴虎馮河のそしりを受けようとも、あえて蛮勇をふるい掲載することにしました。キーワードは“仮面”と“極楽門”です。)

 

自伝『モンスター〜仮面の告白〜』(シンコーミュージック・エンタテイメント)によれば、KISS創成からのメンバーでありフロントマンであるポール・スタンレーは、生まれつき右耳の小耳症と聴力がない状態で生まれた。そのことが心の傷となり、それを隠す手段として白塗りの顔に星形のマークをペイントした外観、“仮面”が生まれたのだという。“仮面”は自らを守る防御機能を果たしたが、最終的に彼が自分の苦しみから解放されるのも“仮面”がきっかけであった。

ミュージカル『オペラ座の怪人』の仮面の怪人ファントム役として出演する機会を得て、怪人ファントムの“仮面”をつけて演ずるうちに、自分の真の問題はその外観にあるのではなく、それを隠そうとする内面、魂にあることに気がつく。やがてこのミュージカル出演をきっかけとして、『他の子供と“異質”な顔を持つ子供たちを支援する団体“アバウトフェイス”』との関わりができることにもなるのだが、自分を救うものを外側に探すのではなく、自分の内面を見つめなおし、その価値を認め、尊重し愛することができてはじめて、自分自身を苦しみから解放することができたというのである。

KISSとしての彼は“仮面”をつけていることを意識していた。その“仮面”は彼に浮世を生きる力を授けた。しかし最終的な真実は、その醜い自分を隠す“仮面”の下、自らの心の中に隠されていることに気がつく。それにはファントムの“仮面”という別の”仮面”の力が必要だったのである。それにしても、“仮面”には不思議な力があるのではないか。

 

この“仮面”の持つ力、呪力というものに衝撃を受けたのが岡本太郎である。彼の著書『美の呪力』(新潮文庫)に収蔵の「仮面の戦慄」という一章では、次のように述べている。「面をかぶって、それ自体になりきってしまうということは正しくないのだ。・・・・明らかに自分の演じている人間と自分との距離を計りながら、その間に交流する異様な波動を身に感得しながら、遊ぶ。それ自体が本当に生きることであり、演技することである」と述べている。

20世紀の大聖ラマナ・マハルシは、真理を求めやってくる者たちに常にこう説いた。身体を真の自分と同一視して考えることがあなた方の一番の問題なのだ。あなた方の本質は不滅の意識、霊性なのであって、「私は誰か」ということを常に問いなさいと。

われわれは普段生きていくうえで様々な“仮面”を生きている。名前、出自、年齢、職業、財産などなど。そしていつのまにかそれとすっかり同一化してしまっている。岡本太郎の言葉で言い換えれば、「面をかぶって、それ自体になりきって」生きているが、それは「正しくない」のだ。むしろ自分が“仮面”をつけていること、それは自分の本質、真の自己ではないことに気づき、「自分の演じている人間」と真の自己との「距離を計り」ながら「遊ぶ」ことが「本当に生きること」なのだ。

 

翻って、いまの高齢者の置かれた状況を考えてみるとどうか。特別養護老人ホームやグループホームなどで高齢者はどのような状況かといえば、いろいろなレクリエーションはあるにしても、普段は安全のための着座を強いられ、うつろな目をして身じろぎもしない者が多いのではないか。(お断りしておくが、これは施設で働く方々を批判する文章ではない。それに関わる者の1人として、体制上やむを得ない面もあり、それを改善することの難しさは理解しているつもりである。そのうえで、どうすればこれらの高齢者にイノチ、生きる喜びを吹き込めるのかを考えているのである) かれらもまた、高齢者、要介護者、身体障害者、機能失調者、認知症患者といった“仮面”のもとに、残された生を送っているのではないか。例えば仮に脳の高次機能に衰えがあるにしても、それは身体的な問題であり、脳機能に関わることであって、その内奥にある“精神”にはイノチの輝きが隠れているに違いない。唯物論者にとっては受け入れがたい話かもしれないが、私はそうではないので論をさらに進めよう。

上記のポール・スタンレーや岡本太郎の話から導き出されることは、逆説的だが、“仮面”をつけることで内奥に隠れた自分の真実に目覚めることになる。言い換えればその隠れたエネルギーが、人工的で意識的な“仮面”をつけることにより励起されることで、今まで自分が同一化してきたより潜在的な“仮面”を打ち砕くのだ。その“仮面”の下にはさらに別の“仮面”があるかもしれないが、一度“仮面”の持つ力に気がつけば、普段自分がいかに“仮面”をつけて生きていたことに気がつきやすいわけで、一旦このような気づきの観点を持つことができれば、個人の意識状態に質的な変化が生ずるのである。

ではそのような効果が脳の高次機能の低下した高齢者でも可能であろうか。私は可能であろうと考える。むしろ実験しなければならない。ルドルフ・シュタイナーが障害者の瞳の中にこそ真の“魂の光”を見たように、脳という身体機能、思考の影響が緩んだ状態の高齢者は、もっと直裁にイノチのエネルギーに触れる可能性があるからである。

 

女性ならば化粧やおしゃれなどの“仮面”の力がいかに絶大なものであるかをご存知に違いない。私のロンドン大学留学時の恩師は女性だったが、朝研究室にやって来るときはスッピンで、どこの老婆かといった風情で消え入りそうな声で「グッドモ〜ニング・・・」と云ってやってくる。ところが、いざ教授室に入って化粧をし、アイシャドウをばっちり決めると、威勢良く部屋から飛び出し、ナチの女親衛隊長よろしくヒールの靴音高くやってきて、「Where is the paper?(論文書けたかー!?)」とシャウトするのであった。これに慣れるまでは悩んで寝込んでしまうことが何度かあった。さらには形成外科が患者の心理に及ぼす影響を見よ。もっとも、最近の韓国の美容形成事情を報じた番組などをみると、もとの顔とまったく違った顔にしてしまうなど、明らかに行き過ぎだと思わざるをえないが。

 

高齢者の意識の変革に“仮面”が影響することは良いとして、それとももクロやKISSがどう関連するのか? KISSのライブには顔にメンバー同様のペインティングを施したフアンが必ずいる。一方、ももクロのライブには、メンバーの過去のライブ衣装やミュージックビデオ中の衣装をまねて派手なコスプレをしてくるモノノフがわんさといるのだ。さらにももクロに関しては、フアンが身にまとう5色に分かれた法被類や、「モノノフ」という名称がすでに仮面的な役割を担い、日常性からの脱却の役割を果たす。これらはライブという祝祭的空間を彩る強力な“仮面”なのである。

結論をいえば、ももクロに“おじいちゃんおばあちゃん祭り”を開いてもらう。そのライブに参加する条件として、人工的な“仮面”をつけてもらうのだ。つまり簡単でよいので、顔のペインティングやコスプレを高齢者にしてもらうのだ。いくつかの推奨されるペインティングパターンを、KISSのそれを真似たりして、あらかじめ提示してもいいだろう。いつもと違う、化粧をした顔を見せ合うことで自然に笑顔もこぼれるのではないか。高齢者同士お互いにペイントしあうもよし、こんなペイントがいいと介護者に塗ってもらうもよし。コミュニケーションが計れない状態の人には、過去の好みなどから想像して塗ってあげるのだ。

このような“仮面”をつけることの効果は忘年会などでも実証済みだ。はじまりにあたって簡単な道具を身につけて仮装するだけで、笑顔をさそい場の空気をなごませるのである。だから高齢者にとっても同じ効果があるはずだ。そして、これらは笑いの治癒力や色彩治療、芸術治療、治療的タッチングの技法などにもつながることでもある。世話するお年寄りの笑顔を見ることは介護するものにとってもやりがいに結びつくであろう。

 

では実際のライブはどのように行うのが良いのだろうか。体の弱い高齢者をライブ会場に集めて万が一事故があったらどうするのか。まあ主催は医師会だとすれば、緊急時の対応は万全を期すとしても、実際に会場に集まる方には健康上の制限があろう。さらにはそもそも茂原市長生郡に、ももクロのライブができる広い会場なんてあるのか? せいぜい収容者数が最大で1000人レベル止まりか。

大丈夫。ここで「チームももクロ」が得意とする「ユーストリーム」システムの登場となる。それを生かせば、ライブ会場の規模が小さくてもOKだ。多くの高齢者は、このシステムを利用できれば施設や自宅にいながらでもライブを楽しめるのであり、その安全を計れることになる。会場にいなくても、その会場の熱気が伝われば良い。いままでもももクロのライブは、会場に入れない人のために映画館を利用したライブ・ビューイングを同時に行っている。私も何度か利用しているが、そこがライブ会場でなかろうと、皆さん大声を出してコールしているので、ユーストリームの画像前でも同じことは起こるだろう。ヤングやミドルのモノノフにも積極的に参加してもらい、ぜひ場を盛り上げてもらうのが良いし、メンバーから声がかかれば、彼らは喜んでそうするはずだ。むしろユーストリームで発信することが、この祭りの規模を大きくすることになるのである。

さらにユーストリームであれば世界同時発信だって可能だろう。もちろんももクロも世界中にフアンはいるが、活動歴40年のKISSの発信力にはまだ及ばないだろうから、KISSとのコラボの一環で連携がかなえば、世界同時の高齢者ライブも夢ではないだろう。毎年恒例のライブにできればなお良い。KISSのメンバーもかなりの高齢だから、高齢者への応援活動には快く乗ってくれるのではないか。忙しいならメッセージでの参加だけでもいいだろう。

 

この“おじいチャンおばあちゃん祭り”は年々場所を変えて行っても良い。日本全国を制覇したら、アメリカ、つぎは他の国へと所を変えてもいい。世界に笑顔を届けるというももクロのポリシーにマッチするだろう。だが、最初の一歩はぜひ茂原市長生郡医師会から始めてみたい。なぜか?

ここで小咄をひとつ。「茂原市長生郡の在宅医療とかけて ももいろクローバーZと解く。そのこころは? どちらもイニシャルがMCZ!」 お後がよろしいようで・・・。というシンクロもあり、他人とは思えない?ということもあるのだが、そのヒントは“極楽門”である。まだ新曲のCDとビデオが発売前なので、正確なことは言えないが、現在の情報では、ももクロvs KISS のコラボ新曲『夢の浮世に咲いてみな』のミュージックビデオの出だしは、アニメで“極楽門”という門が登場する。この門を通って、ももクロたちは色の無い世界を絢爛豪華に塗りたくるために飛び出していくのである。つまり、ももクロvs KISS のコラボの世界観の始まりは“極楽門”なのだ。

“極楽門”とは東京のよみうりランドにかつて存在した野外音楽会場の入り口として立っていた門である。それまでの“ももいろクローバー”が“ももいろクローバーZ”に改名後、始めて彼女たちがその会場で行ったライブが、題して『極楽門からこんにちは』である。ライブの冒頭で、メンバーは戦隊モノのコスチュームに身を包み、この“極楽門”から華々しく登場したのだ。

このライブは、いまでも伝説的なライブとしてフアンの間では人気ランキングで上位にあり、この後彼女たちはアイドルとしてメジャーになっていくのだが、このライブの始まりに会場で流されたビデオは、なんと茂原市長生郡の一翼をになう白子町にある撮影施設で作成されているのだ。(注:お墨付きはもらえていませんが、ほぼ間違いないと考えています) それが明らかになったのは、そのビデオのメイキング映像(『ももクロchan』で放映)の中に、背景にある周囲の環境や建造物、特にリゾートマンション郡が映し出されており、そのうちのひとつの最上階の独特の形状は、まぎれもなく私がターミナルのがん患者さんを往診で看取ったところに相違ないのである。その最上階にいた人物は、末期の胆管癌で全身黄疸になり、私の入院してくれとの勧めに対して織田信長の“死のうは一定”ばりに、「先生、入院したってなおらねえよ。人間一度死ねばいいんだろう。だったら病院なんか行かないよ」といって、とうとう在宅で看取らせていただいたので忘れもしない方なのである。つまり茂原市長生郡、在宅医療、ももクロ、 そしてKISSはこの、“極楽門”で見事に繋がるのだ。

 

ももいろクローバーZ(MCZ)の“おじいちゃんおばあちゃん祭り”が、“極楽門”で繋がった茂原市長生郡の在宅医療(MCZ)から世界へ発信される。考えただけで武者ぶるいしそうだ。彼女たちの力を借りて“色を失った世界(2025年に向けた高齢者社会と在宅医療)を5色で絢爛豪華に塗りたくり、元気を取り戻して夢の浮世にイノチの華を咲かせるのである。これをプロジェクトMCZと命名する所以である。

 

 祭りにおいてこそ絶対と合一する。

言いかえれば己をとりもどすのだ。

(岡本太郎 『アマゾンの侍たちX岡本太郎』Publishing Office Wonder Art Production)