方便を究竟と為す その十三

ほんものの奇跡は よい因果応報の果て

奇跡じゃなくて自分の中から みちびく 未知の力

(ももいろクローバーZ 『GOUNN』より)

 

秋のある日、理事会が始まるのを待っていると、大川医師会長がやっていらして、終わったら話があるので待っていて下さいということでした。ああそうか!また例の「国民的アイドル」の話を会報にどんどん書いて下さいというのだなと思っていたら、豈図らんや! 来年の6月に医師会主催で開催される健康フォーラムで、今回は在宅医療の話題を取り上げるから、ついては社会学者の上野千鶴子氏のご講演の前に、当地区の在宅医療資源について調べて報告すべし!とのことでした。いやーまいった、仕事の話だ!ただでさえ医療資源が乏しい当地区で、しかも上野先生のご講演のテーマが『在宅ひとり死は可能か?』だとー!? いかなる悪しき因果応報の果てにこの仕儀と相成ったものか? もしかすると前回取り上げた「わたしたち 泣いている人に 何が出来るだろう」の「泣いている人」って自分のことでは?と再び頭を抱えてしまいました。

 

仕方がないので急遽ネットや書店でごっそり関係図書を買い込んで休日はお勉強開始。PCの画面ばかりみていたせいか、オメメは真っ赤に充血。まだ半年以上もあるのに、今から準備すんのか?と家族はビックリですが、「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」で、己の知識が空っぽなのはよくわかっていますから、とりあえず今後のメドを立てねばといったところでした。まず、上野先生と執筆当時日本在宅ホスピス協会会長だった小笠原文雄先生との共著であり最新作の『上野千鶴子が聞く 小笠原先生、一人で家で死ねますか?』(朝日新聞出版)を拝読。知らないことばかり出て来るし、当地区ではホスピスのホの字もないのになあと嘆息することしきり。しかし救いはあった!実は、小笠原先生は最初からバリバリの在宅医療推進者として開業された訳ではなく、開業当初はむしろ腰が引けていたといいます。おお!私たちとそう変わらない! ところが、奥さんにはもっとしっかりかせぐために往診しろといわれ、看護師にはもっとまじめにやれと尻をたたかれて、やむなく在宅を始めましたという話が載っていて、思わずホッコリしました。明日の茂原長生地区にも希望の光がある! 明日の我々は今日の小笠原先生の可能性ありだ! その後は当たるを幸いに、目についた書籍を手当たり次第めくっていたところ、ちょっと変わった人の著書に出会いました。

 

その本は『幸せな旅立ちを約束します 看取り士』(コスモ21)という本で、『おくりびと』みたいな響きだが、そんな資格があんのか?という興味と、カバーの表紙にある著者のお顔の写真が何となく印象深いので買って読んでみました。キャリア・ウーマンだった柴田久美子さんが、様々な厳しい体験を経て、病院のない人口600人の離島で看取りの家『なごみの里』を設立。入居者本人の望む自然死で、その方が亡くなる時は抱きしめて看取る実践をされてきたとのことです。最近では米子で在宅支援活動を展開し、終末期介護のモデル作りを目指すとともに、全国に「死の文化」を伝えるため講演活動して回っているのだそうです。『看取り士』というのは彼女が考えたもので、ホームページでみますと、ヘルパー2級の資格をもち、彼女の考えた2週間の研修コース修了者に与えられるようです。ですから介護士やヘルパーなどの国家資格ではないのです。さらには各家庭に出向いて看取りを行う『エンゼルチーム』というボランティア活動(もちろん死亡確認は医師が実施するのでしょうが)を行っているそうです。一億総ヘルパー時代に突入する今日、介護士や看護師が不足する当地区でも、彼女の活動は一つのあり得るモデルとなるかもしれません。『なごみの里』での介護職員の給与は島根での最低賃金(ナント!月12万前後)同然!とのことですが、あまりやめて行く人はいないそうで、アルバイトなどしながらがんばっていらっしゃるようです。同じことは前々回(当HP未投稿)で取り上げた、ドイツで「ルドルフ・シュタイナーの人智学」に基づく高齢者介護施設を運営されているザビーン・リンガーさんもおっしゃっていて、仕事の内容や理念に納得してその職場で働き始めた人は、仕事がきつく、給与が低くてもあまりやめないそうです。介護や在宅医療の話題が、施設の数や国家予算、高齢者の急増、介護士や看護師の不足など、「量」の問題であることが多いのですが、もしかすると、このような「介護(ケア)の本質」という意味での「質」、ケアすることの意味・意義の視点から切り込んでいくと、違う展開がひらけてくるかもしれないと思いました。

 

見開き1ページを超えたら誰もそんな長い文章は読まないと家族がいいますので、まだまだ書くべきことがワンサとありそうなのですが、そろそろ今回のまとめです。柴田さんはどちらかといえば、お国柄か神道系だそうですが、宗教家というわけではなく、どの宗教にも敬意を払っていらっしゃるそうです。その柴田さんが亡くなっていく方を抱きしめていると、その方から「魂」のエネルギーが自分に伝わってくることを感じると言います。

『・・・人間は両親から三つのものをいただいて生まれてきます。「身体」

「良い心」「魂」の三つです。「身体」は死という変化で朽ちてしまいます

が「良い心」と「魂」は子や孫に受け継がれていくと思います。日々、私

たちは暮らしの中で喜びや愛を積み重ねていますが、自分の魂にもそれら

は蓄えられています。その魂が最後に、愛する人に受け渡されるのです。

看取る人が旅立つ人を抱いて身体に触れて送った時に、その人の「良い心」

と「魂」が看取る人に受け継がれていくのです。人は皆、最後に愛や喜

び、生きる力を受け渡すためにうまれてきたのですから。』(前掲書より)

 

スーフィーの道を紹介したルシャッド・フィールドの小説『ラスト・バリア ースーフィーの教えー』(角川書店)に、似たような話があるのを思い出しました。

 

『・・・誰かが真の知恵に出会った時は必ず、ある種のエネルギーが放出

され、地球生命維持の壮大なプロセスのために利用される。普通、このエ

ネルギーは危機的な状況の一瞬、特に死の瞬間にのみ、十分な量が放出さ

れる。しかし今、地球が進化をし続けるためには、瞬間瞬間に死に、再生

し、意識的に生きて意識的に死ぬことを我々が学ばなければならないとこ

ろまで来ている。・・・』

 

死の瞬間、なにか「生命を慈しむ」大きなエネルギーが亡くなっていく方からあとに残される者に受け継がれるらしいのです。ではもし、亡くなって行く方が恐怖、絶望、悲嘆、混乱の中に置かれたらどうなるのか。おそらくそのエネルギーの流れにはブロックが生じるでしょう。だからそのエネルギーのあるべき流れをあるがままにあらしめることが大切であり、それこそ在宅医療が目指すところではなかろうか。フムフム成る程。それがお天道様の道であり、母なる地球と我々自身を助けることになるのだ。おお!素晴らしい!! 国家予算節約目的の在宅医療推進にはゲンナリだが、そういうことならやりがいもあろうというものだ!唯物論の牙城ともいうべき医療の分野が、この「未知の力(エネルギー)」に敬意を払う時、在宅医療に「ほんとうの奇跡」が起こること間違いなしだ! なんだか一人で盛り上がっていますが・・・。ちなみに柴田さんは自宅での死というものにはこだわってはいないようで、しあわせな死は、「死にたいする夢」(筆者注:こういう死に方をしたいという「希望」ということでしょうか?)があって、「手を握り抱きしめられて」見送ってくれる人がいて、それを「自分が決められる」ことで実現できると述べています。確かにそういう条件が満たされるのであれば、安心のために死ぬ場所は「自宅」である必要はなく、良いスタッフや環境が整っていれば、病院の病室や施設で亡くなってもいい。そうか!ではプロジェクトMCZ(詳細は「その十二」参照のこと)では「在宅」とは、亡くなって行く方の魂の安らげる場所、魂の「ホーム」を意味することにしよう! つまり、Zaitakuの頭文字『Z』(キターっ!!)には以前「不生不死、無限のイノチ」の意味があると書きましたが、「魂のふるさと」でもあった訳です。よっしゃあーっ!! ・・・・・どうやら話がまとまりました。

 

 

追記:恒例の写真を忘れていましたが、今回も素敵な仏教画(まさか写真?)がありましたので載せておきます。「桃色四葉Z菩薩」という女尊で、5面10臂(顔が5つに手が10本)のようです。「笑顔と歌声」で世界に光明をもたらす役割を持つそうで、光る棒を振りながら「ウリャ・オイ」とマントラを繰り返すと幸せになること請け合いだそうです。今年のNHK紅白歌合戦会場にも「楽天」という天からの“神の子”「マー君」といっしょにご降臨との話ですのでお見逃しなく!?

 

(この文章は、平成25年12月号の医師会報に掲載予定の原稿を、医師会事務局の許可を得て一部改変して載せています。)