方便を究竟と為す その十七の①

方便を究竟と為す

その十七の①

 

呂祖師は言った。・・・天上の光は見ることができない。それは両目のあいだに含まれている。・・・ゆえに、汝のなすべきことは光を巡らせることのみ、これが最も深淵で霊妙な秘法だ。

(Osho 『黄金の華の秘密』)

 

平成26年3月16日夜。日中よく晴れ渡った分、日暮れとともに寒風に見舞われた国立競技場であったが、二日間にわたって繰り広げられた「ももいろクローバーZ(MCZ)」の圧巻のライブもそろそろ終了に近づいていた。19ゲート南側スタンド席Q22、ほぼ聖火台の真下の位置から見下ろす会場を埋め尽くす5色のペンライトのきらめきと、それに照らし出される群衆の姿は実に壮観なものがあった。

今回のライブでは、会場での物販として赤緑黄桃紫の5色に切り替わるペンライトが売られたため、普段は自分が推すメンバーの担当色に合わせた色のペンライトを振っていたモノノフたちも、今回のライブでひとりひとりのメンバーがあいさつする際や、誕生日を迎えたメンバーを祝うサプライズに際して、会場にいる人々が一斉に同じ色に変える情景が見られた。それはまるで、ペンライトの色の変化が一つの大きな意志によって動かされているような幻想的な情景でもあった。

二日目のライブの最後、5人は寒風吹きすさぶ聖火台にあがり、ひとりひとりが自分たちの来し方行く末、これからに向けての決意を語ってくれた。皆涙ながらにこれからもMCZとして進んで行く意志を表明して感動的なあいさつばかりだったが、最後のリーダー、百田夏菜子さん(赤色担当)の言葉は聞く者の心を激しく打った。

いわく、彼女たちの目標は決して大きな会場でやることではないこと。大きさには限りがあるから。彼女たちは確かに「天下」を取ることを目指す。しかしその天下は「アイドル界」や「芸能界」の天下ではなく、人々を「笑顔」にすることにおいての天下であること。そしてそれには終わりがないこと。いままでは大人に作ってもらった壁を乗り越えてきたが、これからは自分たちが先頭に立って進まなければならないこと。その道は険しいが、道に迷った時はモノノフの皆が手にするペンライトの光を道標として進んでいくつもりであること。概略こんな感じだったと思うが、このあいさつが会場内外のモノノフの涙腺を崩壊させ、今回の国立2daysの神ライブの地位を不動のものにしてしまった。

寒さに震えていた聖火台真下のこの「オジさん」もこの時ばかりは、一大感動を発して身じろぎもしない状態で、時間は止まった。眼下にきらめく赤一色の世界と、ほのかな光に照らし出される人々の幸せそうな小さな顔の一つ一つを眺めていた。人々が口々に叫ぶ「ありがとう」の声が勝鬨のように聞こえてきた。映画『風林火山』の最後の場面が思いかぶ。ウラをかかれ、遅れて戦場に到着した先手組の赤備えの武田の騎馬隊が、背に赤い旗指物をひらめかせながら上杉勢めがけて突撃する。自らも深手を負い、かすれゆく意識の中でその様を見た三船敏郎扮する山本勘助が、亡き由布姫に向けて味方の勝利を告げる。映画の台詞どおりではないが、「姫様、我らが勝ちましたぞ。御味方の大勝利にござる」との言葉がぼんやりと脳裏に浮かんできた。

 

 

眼下を埋め尽くすきらめくペンライトの光をみているともう一つ別の話を思い出した。その話とは華厳経の「鏡灯の喩え」である。

中国道教の有名な仙人のひとりである呂厳(呂洞賓あるいは通称呂祖師)が、内丹法(修行によって人体内部に丹(不死の霊薬)を創造する方法)の技法である「周天法」の奥義を伝えたとされる『太乙金華宗旨』(リヒャルト・ヴィルヘルムによって発見・翻訳され、西洋にはその友人であるユングの協力によって『黄金の華の秘密』として紹介された)に関する講話録のなかで、Oshoが話をしている。

昔々中国の女帝、かの則天武后が導師の法蔵に「宇宙的な相互依存の法則」を尋ねた。すると法蔵は、宮殿の一室を借り受けると、その部屋の八方と上下を覆うように大きな鏡を置き、その中央に一本のろうそくをつるして灯をともして見せた。そこには鏡に反射しあう無数の炎の幻想的な世界が出現したが、さらに法蔵はおもむろにその炎の鏡像のうちの一つを覆ってみせることにより、いかに全体が大きな変化を受けることになるか、換言すれば、この世界のあらゆるものが相互に関連しあっているとともに、ささやかな個々の干渉が我々の世界の有機的統一にいかに影響を与えるかを示したのである。則天武后はその美しさに息をのむとともに、一(中央の灯のついたろうそく)と多(鏡に映されたろうそくの像)、個々の存在と他の万物との関係を理解したという。最後に法蔵は、これらすべてを小さな水晶玉に映してみせた。無限に小さなものがいかに無限に大きなものを蔵していることを示してみせたのである。

 

「上のごとく下もまたあり、下のごとく上もまたある」とはエメラルド・タブレットにあるヘルメスの有名な言葉だが、天と人、社会と人、大きさの異なるシステムどうしであっても、この世界は互いに照応しあう関係にある。以前ご紹介したルドルフ・シュタイナーにも、「社会有機体三分節」という考えがあるが、彼は人体の活動を精神活動に関わる神経系、物質活動に関わる代謝・運動系、そして両者をつなぐ働きをする呼吸・循環器系の3つに分けてとらえていた。そしてこの3者は人間の魂の3様相である「思考(知)」、「意志(力)」、「感情(愛)」にそれぞれ対応して働くと考えた。彼は同じように有機体としての社会にも、思考活動としての「精神」的生活、物質的な「経済」的生活、そして両者の調和をはかる「法」としての生活があり、それぞれが人間における「思考」、「意志」、「感情」の活動に対応すると考えた。さらにこれらの3つの生活ではそれぞれ「自由」、「友愛」、「平等」を目標にするものとされた。

このような「照応」の考えによって当地区の在宅医療活動への提言をなそうというのが、今回の目的である。在宅医療も一つの有機体である。すでに述べたが、「在宅医療の黄金の三角形」を構成するのは「知」のセンターとしての医師、「愛」のセンターとしての(訪問)看護師、「力」のセンターとしての地域住民の皆さんだと考えている。私の直感では、これらの3つのセンターは、わかりやすい喩えを使うなら、道教の内気功あるいは内丹法でいう「上丹田(頭部にある『神』すなわち「霊」あるいは「知」のエネルギーセンター)」、「中丹田(胸部にある、『気』すなわち「感情」あるいは「愛(ハート)」のエネルギーセンター)」、「下丹田(腹部にある、『精』すなわち「力(生命、代謝)」のエネルギーセンター)」に見事に対応している。わかりやすくなどと書いたが。「丹田」は解剖学的構造ではないので、その位置や広がりには諸説あり、異論のあることを承知のうえで「頭部」、「胸部」、「腹部」とさせて頂いた。周天法はこの3つの丹田の間で「気(エネルギー)」の巡回を生み出し、「気」を高める方法(練丹法)である。呂祖師は、技法の要諦は難しいことではなく、貴方が自らの中に「天上の光」を蔵していることに気がつき、それを全身に巡らせ、全身をその光で照らし出すことに過ぎないというのである。

在宅医療の「力」のセンターには「知」のエネルギーが、「愛」のセンターには「力」のエネルギーが、「知」のセンターには「愛」のエネルギーが必要だの述べてきたことは、この3つのセンターの間でエネルギーの巡回させる方向が「周天法」における「気」の巡回に似ていることに気がついた。したがって、個人が自らの気、エネルギーを高めるために「周天法」を行うのと同様に、「より大きな有機的存在」ともいうべき「在宅医療」を構成するの三つのエネルギーセンターもこの方法で内的エネルギーを高めてもらうことができるのではないかというわけである。次回はその話をしようと思う。

 

さて、モノノフを感動の嵐に巻き込んだ我らが御主君、MCZの姫君たちだが、ライブ終了後そのままラジオの生番組に出演、ライブの疲れも見せず、今度は打って変わったグダグダ、ハチャメチャトークを繰り広げた。私もあとでネットにアップされたものを聴いたのだが、あげくの果てには我らが親愛なる「アホ」リーダー、百田夏菜子さんのトドメの一撃の一言、「私さあ、全然関係ないんだけど・・・、私すっごいラーメン食べたいんだけど!」で爆笑の中ラーメンの話題に突入して終わったのだから恐れ入る。これでは討ち死にしたはずの山本勘助も慌てて生き返るに違いない。ライブ終了後ナマでこれを聞いていたモノノフたちは一斉にズッコケて、「さっきのライブの感動を返してくれ〜!」との悲鳴があがったらしい。といいながら、実はみんなニヤニヤしてしまうのである。さすが、大先輩の加藤茶さんとコラボした際、私たちは「ドリフ」を目標にしていますと堂々宣言するだけはある。ほとんど漫画「キン肉マン」の主人公を地でいくこの天然ボケこそはリーダーの真骨頂であり、他のモノノフ氏の言葉を借りれば「かっこ良くて、可愛くて、アホ」こそがリーダーとMCZの真髄だ。こうして老若男女を問わず、モノノフたちはいつも笑顔にさせられているのである。

ここまできてあらためて気がついた! 「笑顔」こそは究竟の方便だ。道元禅師に「和顔愛語」の言葉がある。「和顔」は「笑顔」だ。二つは一つのものだ。「愛語よく廻天の力あることを学すべきなり」(愛語には天をひっくり返すくらいの力があることを知れ)と道元禅師はいった。だから「笑顔にも廻天の力がある」のだ!! 余計な思考に邪魔されない障害者の笑顔の中にこそ魂の輝き(天上の光)は宿っているとシュタイナーはいった。だから笑顔を通して思考を超えた「天上の光」に至らしめるのだ。「診察室にもっと笑顔を!」だ。「君、そんな不真面目なこといっちゃあいかんよ」という御仁にはノーマン・カズンズの『笑いと治癒力』を読むことをお勧めしたい。

MCZの「笑顔の天下統一」の大望の一翼を担うべく(在宅医療問題はどこへ行った?)、九十九里の辺境の地(などと言ったら「アンだって〜!?」と白子町民にしかられるか?)を守るこの初老の一家臣も、粉骨砕身する覚悟である。ラーメン騒動もなんのその、感激のあまり我が旗印を思いついてしまった。織田信長の『天下布武』にあやかって同じ読み(テンカフブ)の『天下布舞』にしようかと思ったが、ちょっと面白くない。やっぱり『天下布笑』がいい。何? テンカフショウ? 重みが無い上に、読みがかなり違うって? 大丈夫! これはこう読むのだ!

『てんかふ「プッ!」』*と。

 

*その後スタッフの中から『てんかふ「フフッ!」』との新しい読み方をするツワモノが現れ、実に感じ入った次第です。イタダキマシタ!! そういえば吹き出し方は人それぞれですから、「プッ」ではなくて「ブッ」でもいい訳で、そうすると、もとの天下布武(テンカフブ)とそうかわらないことになるわけで・・・。こうなってくるといよいよ「医者ともあろうものが」の世界になってきました。

 

あんまり長いので②につづく

安藤五徹

*この文章は次回の医師会報に投稿予定の最新のものです。