方便を究竟と為す

(この文章は平成24年の医師会雑誌に既に投稿されたものを医師会のご好意で一部改変し掲載させていただいたものです。今後順次載せていく予定です。)

 

津波で死なずにすんでヤレヤレと思っていたら、陸のほうから別の力が働いて、今回約10年ぶりでうっかり医師会理事を拝命してしまいました。これも神仏(あるいはアッラー?)のお導きとあきらめて、モゾモゾやっていましたら、「何か医師会報に文章を書くように」と事務局からの依頼がありました。昔、理事のときに原稿書きでだいぶ苦労(?)しましたので、何か良い方法はと考えていましたが、私が趣味でアラビア書道教室やチベット仏教の仏画(タンカ)教室に通って作成した作品に、短い駄文を添えて投稿させていただくことにしました。ちなみに表題の「方便を究竟と為す」とは、我がココロの師のひとりである、弘法大師イチオシの大日経は「菩提心為因 大悲為根 方便為究竟」からとったものです。本稿はシリーズ化!?の予定ですので(今は盆前で忙しいし!?)、表題のココロはそのうち書くつもりです。

今回ご紹介するのは馬頭観音像を描いたタンカです。チベットでは観音よりも明王としての性格が強く、馬頭明王として知られているらしいですが、私のタンカの師匠(チベット人)が日本人にあわせて?「バトカンノン」と呼ぶので「馬頭観音」としました。初めて私が描いたタンカですが、なぜこの尊格を最初に選んだかといいますと、ある日私が医師であると知って、師匠がチベット版のネッター医学図譜とでもいうべき「ギューシ」を英訳した本を見せてくれました。その中にデカデカとこの馬頭観音(ハヤグリーバ)のタンカの写真がのっていました。それを見たとたん、そのエネルギーに圧倒されてしまい、ぜひこれをということになったわけです。別な理由としてはこのような怒った顔の尊格のほうが初心者には描きやすいのではないか、静寂な顔の尊格を描くのは10年?早いのではと直感的に思ったからです。日本ではそのお姿から、馬や動物を守る意味を持たせたり、また馬がたくさんの草を食べるようにモーレツに煩悩を撃退するという働きがあるとされているようですが、チベットでは薬師如来とともに医学に関係が深く、医者が薬を調合する際に瞑想しながら馬頭観音とひとつになり、薬の力を高めるというようなことをするようです。ちなみに参考までに師匠がみせてくれたIan A. Baker著 「The Tibetan Art of Healing」から馬頭観音(ハヤグリーバHayagriva)について述べた部分を引用しておきます。

In the consecration of Tibetan medicines and rejuvenating elixirs, the physician visualizes himself as Hayagriva, empowering medicinal substances with the potency to heal and transform. Referred to as the `protector of the elixir`, Hayagriva represents the transmuted energy of aggression and wrath converted to all-accomplishing wisdom.

つづく

安藤五徹

 

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